余白のある暮らし

必要最低限の好きなものに囲まれて暮らしたい。自然派食品、製品に興味あり。夫、幼児2人の家族と一緒に生活も心も余白のある暮らしが理想。

負のループから抜け出したい。

 

ここ最近、いや、地雷を踏んでからというもの、相手のアラばかりみえてイライラしたり、もやもやしたり、不満に思ったり、子どもにもイライラしたり。

 

声には出さずとも心の中は荒んでいる日々。

 

感謝しているのに、ありがとう、が、口に出せない自分がいる。

 

こりゃ、いかん。

また良くない流れだ。

と、思って意識したものの、相手の反応に気分は下がり、やる気もすぐに無くなる。

あ、だめだ。

やっぱりだめだ。

 

 

そこからはもうなだらかに降下。

 

みんなが笑って過ごしたい、いや、自分も笑ってたい。楽しく過ごしたい。

のに、出来てない。

 

 

なかなか長年こうしてきた癖は手強いもので、そして、人といることが今は少なく、家族の中で過ごす日々。

 

 

馴れ合っちゃってるからか?甘えなのか?

 

 

ふと、もう嫌んなって泣きたくもなるし、投げ出したくもなる。

一人にもなりたくなるし、叫びたくなる。

 

フラーっとどっかに逃げ出したくなる。

 

 

一人で、厳密には幼子がいつも一緒だが、一人になれるそのほうが楽だ、なんて終いには思うところ。

 

 

でも、いつまでたったってこのままだと今までとまったく変わらず、同じ思考回路なる。

 

あれだけ、ネガティブが嫌で抜け出したくて、ほんとに嫌になったのに、ほんとに心底しんどいと思って抜け出したいと思ったことは事実なのに、こうもすぐに戻るのか。

 

 

引き寄せの法則はネガティブなほうこそ早くスムーズに引き寄せちゃってる気がする。もともとそう過ごしていたのもあるのか、戻るのなんて一瞬だ。

 

 

検索をかけて、抜け出す方法探してはみるものの、しっくりこない。

心理学的なものとか統計みたいにきちんとあるもので結論づけられたものは信用ができるというか。

 

見つけたのは、負のスパイラルを断ち切る覚悟をすること。

どうしても今まできたその思考とかってネガティブであってもどこか安心とか、レールのようなものでそこからはみ出ないってことは無意識でも安心、心地が良いってことで。

 

 

きっと、言い訳とかこうだって決めてかかってるから、結果悪くてもうまくいかなくても、ほらね、やっぱりそうなるよね。だから、だめなんだよね。になる。

それで、また落ち込むけど、それできっと安心してる自分がいる。

 

 

私はほんとに考えるのが好きで、好きな自覚はないけど、でも考えすぎるってのは自覚があって、それがいい方への考えじゃなくて、悪く行く方で、それこそその思考がまた不安をよんで、より大きくなって手に負えなくなる、みたいなことによくなってて。

起きてもないこと心配しすぎて、動けないとか、踏み切れないとか、

きっと今までにすごくいろんなチャンスも逃してきたんだろうとも思って。

 

不安を探してるって言われた時は、ほんとにショックで、一方で腹ただしくて、傷ついて、きっと図星で、指摘されるのすごく苦手だから、嫌でたまらなかったんだと思う。

 

 

 

素直だと思ってたのに、結構ひねくれまくってるけど、やっぱり、このままはいやだから、抜け出していきたいと思う今日この頃でした。

 

 

いつだって、いくつになったってやっぱり向上していきたいと思うんだな、って改めて自覚しました。

人間的に成長はずーっとしていきたい。

 

 

少なからず、明日の自分の方が好きだって言える自分でいたいし、例えば死んでも後悔はしたくないから、嫌なことあるまま引きずって次の日にはいかないように、しなくちゃな、いや、したいな、と思うのです。

 

願いみたいになってしまった。

 

とりあえず、抜け出せるように自分で考えて、試せることは試していこう、と思いました。

 

負のループ、いつかさよならしてやる!