余白のある暮らし

必要最低限の好きなものに囲まれて暮らしたい。自然派食品、製品に興味あり。夫、幼児2人の家族と一緒に生活も心も余白のある暮らしが理想。

未来のこと。

 

不思議なもので、悩みって次から次へと出ますね。

それが、自分の中だけのものなら作り出していることもあるのですが、外側からこれだ!ってぶつけられると、ほんとに頭を抱える。。。

 

 

子どももパートナーも鏡であったり、私がそうさせている、もしくは意図があって、そうなっている。とはよく言われたもので、それを本やら人から聞いてやらで、私の中にある意識ですが、それを踏まえた上であっても、これはどうしたら、どう解釈したらいいのか、という問題に直面しています。

 

 

未来が不透明すぎて、予測できなくて、現実、動き出すのも少し先で。

この動きも出さないけど、先はこの形にするというパートナーの意志、私の腑に落ちない感満載のこの感情。

自己犠牲に走りたくはない、が、そうならない可能性は少ないのかも、、?

 

こんなふわっとして不安だらけのこの気持ちをどう処理するか。

聞く耳を持たないパートナー。

 

 

数日前までこんな状態でした。

もう、気分は最悪、不安ばかり。

自分犠牲にするしかない、くらいの勝手な追い込み。

先の見えない不安だけが広がっていて、もうどうしたらいいのか。

 

考えすぎる悪い癖、とは思っていたものの、覚悟もなにも決断する勇気も持たなかった。

 

 

以前、相談した手相も人相も見える人に今回のことも相談できることになり、話しました。

 

私の目を見て、言ってくれた。

 

させてあげて。

受け止める、をしてあげて。

と。

 

 

自分の中でも少しあった思い、汲んでもらったみたいに、腑に落ちました。

 

たとえば、これは手相や人相やその他が見えない人でも、人生経験のある人なら、相手を思いやれてる人なら答えは出てることなのかもしれない。

って、あとから冷静に思いました。

 

 

大丈夫だからって人に言われると落ちつくのはなぜだろうか。

 

 

せっかく一緒になったパートナー、授かった子どもたち。

私がしんどい時に支えてくれたパートナー。支えてやらなくてどうする。

 

思いやりはあると思ってたのに、わかってなかった。甘かった、わたし。

 

 

もうやめました。

せめるのも、過度な期待も。

でも全くやめたわけじゃない。

だけど、困ったときはちゃんと2人で乗り越えていくことを話しました。

 

この子たち守れるのは私たちだけだから。

子どものこと優先に考えてたけど、それなら、やっぱりパートナーも大事にすることが大切だ、と改めて感じた出来事でした。

 

それにより、将来、なにをしたいか、なにをしていこうか、考えるきっかけにもなりました。

 

 

今年度、あと三カ月しかないと思っていたけど、あと三カ月も、ある、ということで、身近な目標定まりました。

 

 

そこからはまたその都度。

楽しみです。